映画『ポカホンタス』差別批判の真相|歴史改変と警告文の理由を追う

映画『ポカホンタス』差別批判の真相|歴史改変と警告文の理由を追う

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ディズニー映画が描いた「大人の男女の切ないロマンス」は、歴史的事実と照らし合わせると完全に崩壊します。歴史資料が語るポカホンタス(本名:アモヌーテ、愛称:マトアカ)の生涯は、愛と平和の象徴などではなく、植民地支配の犠牲者そのものでした。

1607年、イギリス人入植者ジョン・スミスがポウハタン族のテリトリーに到達した際、ポカホンタスはわずか10歳〜12歳前後の幼い少女でした。一方のスミスは当時27歳の百戦錬磨の傭兵・探検家です。二人の間に恋愛感情が芽生える余地などなく、スミスが自著で語った「処刑されそうになった自分をポカホンタスが身を挺して救った」という有名なエピソードすら、先住民族側の口述伝承では完全に否定されています。部族の客人をもてなす通過儀礼の儀式をスミスが勝手に「命の恩人」と誤認したか、自らの功績を誇大宣伝するために捏造した創作であるという説が、現代の歴史学界では有力です。

その後のマトアカの運命は過酷を極めました。1613年、彼女は10代半ばでイギリス人入植者サミュエル・アーガルによって人質として拉致・監禁されます。1年以上におよぶ監禁生活の中でキリスト教への改宗を強要され、「レベッカ」という洗礼名を与えられました。

翌1614年、タバコ栽培で成功を収めていたイギリス人商人ジョン・ロルフと結婚。これは部族の和平を保つための政略的な人質婚でした。1616年には植民地経営の宣伝塔「文明化された野蛮人の成功例」としてイギリス・ロンドンへ渡航させられ、国王ジェームズ1世への謁見など見世物のように社交界を連れ回されます。そして故郷へ帰還する船の出航直前、わずか20歳または21歳の若さで謎の急病(天然痘、結核、あるいは肺炎)を発症し客死。異国の地グレーブゼンドの教会に埋葬され、二度と故郷の土を踏むことは叶いませんでした。

山崎 陸
著者

山崎 陸

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