太極旗の誕生は、19世紀末の激動する国際情勢と密接に結びついています。当時、鎖国政策を解いて近代国際社会へ歩み出そうとしていた李氏朝鮮には、自国を象徴する公式な「国旗」が存在しませんでした。
転機となったのは、1882年の米朝修好通商条約の締結です。条約調印式において自国の尊厳を示す旗の必要性に直面した朝鮮側は、君主の象徴であった「御旗(太極八卦図)」をベースに独自の意匠を検討し始めました。
決定的な役割を果たしたのが、同年に日本へ派遣された修信使(特使)の朴泳孝(パク・ヨンヒョ)です。朴泳孝は日本へ向かう船上(イギリス船籍の船)において、同行者やイギリス人船長らと協議を重ねながら旗のデザインをブラッシュアップしました。当初考案されていた八卦は複雑すぎて識別が困難だったため、東西南北・天地水火を代表する「四卦」へと簡略化し、白地に赤青の太極を配したスマートなプロトタイプを完成させたのです。
日本到着後、朴泳孝一行はこの旗を宿泊地に掲揚し、これが公式の場で太極旗が使われた初の事例となりました。帰国後の報告を受けた第26代国王・高宗(コジョン)は深く感銘を受け、1883年3月6日(旧暦1月27日)に「太極旗」を正式な朝鮮国の国旗として公布しました。
その後、大韓帝国時代を経て日本統治下の独立運動(三一独立運動など)における精神的支柱となり、1948年の大韓民国政府樹立を経て、1949年10月15日に文教部告示により「国旗製作法」が制定され、現在見られる厳密な比率と規格が法的に確立されました。