順風満帆に見えたずうとるびでしたが、1977年、リーダーでありグループの生みの親でもあった山田隆夫が突如として脱退を表明します。ファンに激震が走ったこの脱退劇の真相には、複数の要因が絡み合っていました。
公表された理由と水面下の葛藤
当時、表向きに発表されたのは「結婚を機にした独立」や「将来を見据えたソロ活動への移行」でした。しかし、後年のインタビューや手記で語られた現場のリアルは、より複雑な人間関係と業界構造にありました。
第一に、「山田隆夫個人への極端な仕事の集中とグループ内格差」です。『笑点』からの抜擢という経緯もあり、初期のギャランティ配分やメディアの注目度は山田に偏りがちでした。グループ全体の人気が上がるにつれ、他メンバー(特に江藤や新井)の人気が急上昇し、グループ内での発言権や立ち位置を巡る微妙なパワーバランスの揺らぎが生じたとされています。
第二に、「目指す音楽性・活動方針の乖離」です。作詞作曲を手掛け、アーティスト志向も持っていた山田に対し、マネジメント側や他メンバーはよりタレント性やバラエティ路線を重視。睡眠時間が1〜2時間という過密スケジュールの中で、心理的バウンダリー(境界線)が保てなくなり、衝突が増加していきました。
池田善彦の加入と1982年の解散
山田の脱退後、グループは一般公募のオーディションを開催し、爽やかなルックスと確かな演奏力を持つ池田善彦を新メンバーに迎えて活動を継続しました。池田の加入により音楽的クオリティは維持されたものの、山田が担っていた圧倒的なキャラクター性と「笑点発」という求心力の喪失は否めませんでした。
1970年代末から1980年代初頭にかけての歌謡界は、たのきんトリオや松田聖子といった新世代アイドルの台頭という構造転換期を迎えていました。アイドルとしての賞味期限と個々のキャリアの方向性を冷静に見極めた結果、グループは1982年に平和的な解散を選択するに至ったのです。