自決直後の総監室は、血の海と化した絨毯の上に強烈な死の空気が充満していました。生き残った小賀、小川、古賀の3名は、益田総監の拘束を解き、三島と森田の遺体から少し離れた場所に二人の首を並べて合掌しました。総監室の床には、切腹に使われた短刀や刃こぼれした日本刀が散乱し、壁や調度品には生々しい血飛沫が飛び散っていました。
現場に急行した警視庁の捜査員や鑑識係によって撮影された現場写真は、厳重な機密扱いとされたものの、のちに一部が報道関係者を通じて外部に流出し、当時の写真週刊誌などに掲載される事態となりました。首を綺麗に揃えて並べられ、無念とも静寂ともつかぬ表情を浮かべた三島のデスマスクのような写真は、日本のみならず海外のメディアにも転載され、世界中に計り知れない衝撃を与えました。
警察が作成した検視調書には、三島の肉体に刻まれた傷の詳細が克明に記されています。腹部の創口の長さや深さ、そして首に残された複数回の太刀傷の痕跡は、介錯がいかに難航を極めたかを冷徹に物語っていました。これらの調書や鑑識記録は、三島事件が決して美化された絵空事ではなく、血と肉が激突した苛烈な現実であったことを証明しています。