明日香村を訪れる旅行者が吉備姫王墓の拝所(鳥居と鉄柵)を覗き込んだ瞬間、誰もが言葉を失う異様な光景に出くわします。厳格な宮内庁管理の陵墓の敷地内、砂利が敷かれた拝所のわずか数メートル先に、人間のようでもあり猿のようでもある謎の石造物が4体、等間隔で並べられているからです。
「なぜ高貴な皇族の墓にこのような奇怪な石像が置かれているのか?」という疑問に対する歴史的真実は、実にあっけない、しかし極めて人間臭い経緯によるものです。結論から述べると、猿石は飛鳥時代から吉備姫王墓にあったわけではありません。
記録によると、江戸時代の享保年間(あるいは元禄年間とも伝わる)、吉備姫王墓のすぐ南西に広がる欽明天皇陵の周濠南堤付近の田んぼ(旧池田村の字カンサイ・平田垣内)を掘り返していた農民が、偶然土中から掘り出しました。田畑を潤す用水路の土留めや畦石に利用されるなど転々とした後、明治初頭の陵墓治定事業の過程で、近隣にあった吉備姫王墓の拝所内へ「保護と景観保存」を名目に集められたのが真相です。
並んでいる4体の石造物には、その造形から後世の人々によって明確な名前(種類)が付けられています。
- 女(女性像):最も左側に位置し、胸元や腰回りに女性特有のふくよかな特徴が彫り込まれているとされる像。
- 山王(さんのう像):左から2番目。冠のような頭飾りをいただき、どこか仏教や神道的な神霊を想起させる堂々たる佇まい。
- 僧(法師像):右から2番目。丸めた頭と合掌するかのようなポーズから、僧侶の姿を模したと解釈される像。
- 男(男性像):最も右側に位置し、引き締まった体躯と男性器のような陰刻が確認できるとされる力強い像。
さらに驚くべきことに、これらのうち「山王」「僧」「男」の3体は背中側にもまったく異なる異様な顔や意匠が彫られた「表裏二面彫刻」となっています。現在、拝所の柵越しからは正面の顔しか確認できませんが、光の差し込む角度によって浮かび上がる彫りの深さは、古代人の底知れぬ造形執念をまざまざと見せつけます。