多くのリスナーが「夜に駆ける 怖い理由」として挙げるのが、歌詞の凄惨なテーマと、耳に残るキャッチーなメロディとの間にある極端な乖離です。この感情の認知的不協和こそ、Ayaseの手腕が生み出した計算された音楽的トラップと言えます。
楽曲のテンポ(BPM)は約130という、心地よいダンスビートを刻んでいます。さらにikuraのボーカルは、心中という陰湿な情念を一切感じさせないほど、どこまでも澄み渡り、軽やかです。聴き手は最初のうち、爽やかな青春恋愛ソングを聴いているかのような心地よさに浸ります。しかし、歌詞カードを注視し、「沈むように溶けてゆくように」「騒がしい日々に笑えない君に」「フェンス越しに重なっていく」というフレーズの意味を理解した瞬間、リスナーは自分が「二人の飛び降り自死の瞬間」を軽快に手拍子しながら追体験していた事実に気づかされます。
さらに恐ろしいのは、楽曲のラストサビにおける転調です。半音転調によって楽曲のテンションは最高潮に達し、多幸感(ユーフォリア)に満ちたメロディが炸裂します。精神医学の世界では、重度のうつ状態や希死念慮を抱えた人間が自死を決意した直後、長年の苦痛から解放される確信を得て突如として晴れやかな笑顔を見せる「ラスト・スマイル」と呼ばれる現象が知られています。あの転調とikuraの突き抜けるようなハイトーンは、まさに二人が現世の苦悩を捨て去り、落下しながら感じた歪んだ解放感を完璧に音像化したものに他なりません。