なぜ冨永愛さんは、交際発覚からわずか数日で一切の迷いを見せずに別れを決断できたのでしょうか。その最大の理由は、「シングルマザーとしての覚悟と、一人息子である冨永章胤さんへの影響」でした。
冨永さんは2005年にパリ在住の日本人パティシエと結婚し長男を出産したものの、2009年に離婚。以降、女手一つで息子を育て上げるシングルマザーとして、過酷なファッション業界の第一線で戦い続けていました。塩谷さんを受け入れた背景には、息子を含めた将来の温かい家庭像への期待もあったとされています。しかし、発覚した二股行為は単なる浮気の域を超え、双方に結婚指輪の購入や親への挨拶をちらつかせるなど、極めて不誠実なものでした。
発覚直後、冨永さんは園山真希絵さんと直接電話で会談。お互いの状況を確認し合った結果、塩谷さんの不実を確信しました。冨永さんは後に出演した情報番組『情報ライブ ミヤネ屋』において、「息子がいる手前、嘘をつくような人を家庭に入れるわけにはいかない」と語り、自らの恋愛感情よりも母親としての責任と尊厳を最優先したことを明かしています。この迅速で凛とした引き際こそが、泥沼化を最小限に食い止め、冨永愛という女性の圧倒的な自立心を世に知らしめる契機となりました。