漢字「嫐」の読み方と意味に震撼!後妻打ちの真相と「嬲」との違いを解剖

漢字「嫐」の読み方と意味に震撼!後妻打ちの真相と「嬲」との違いを解剖

漢字「嫐」の読み方と意味に震撼!後妻打ちの真相と「嬲」との違いを解剖の概要と注目ポイントをわかりやすく整理しました。

「嫐」という漢字が持つ最大の闇にして、歴史学・民俗学的に極めて興味深い現象が後妻打ち(うわなりうち)です。なぜ後妻のことを「うわなり」と呼び、この漢字が充てられたのでしょうか。

語源を探ると、古語において先妻を「こなみ(古妻・古波美)」と呼んだのに対し、後から入ってきた妻を「うわなり(後妻・上成)」と呼称したことに由来します。「うわ」は「上」であり、後から上に重ねて据えられた存在であることを意味しています。この「うわなり」の精神的・社会的な衝突に、まさに女二人が男を挟んで火花を散らす「嫐」の字がピッタリと当てはまったわけです。

そして実際に平安時代末期から鎌倉、室町、江戸時代初期に至るまで、日本社会には「後妻打ち」という苛烈な復讐儀礼が存在しました。

夫に一方的に離縁された先妻が、夫の新たな妻(後妻)の屋敷に親族や下女、近隣の女性たちを引き連れて殴り込みをかけ、家財道具を叩き壊すという公認の習俗です。鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』文治4年(1188年)12月の条には、源頼朝の御家人である愛甲季隆の後妻の館に、離縁された先妻が手勢を率いて乱入し、大乱闘に発展した事件が生々しく記録されています。

驚くべきは、これが単なる突発的なストーカー的私刑ではなく、社会的に承認された一定の法慣習・儀礼ルールに則って行われていた点です。

襲撃側は事前に使者を立てて「何月何日の何時に打ち入りを行う」と予告通知を出しました。これを受けた後妻側も親類や用心棒を動員して防戦態勢を整えます。当日は箒(ほうき)や竹刀、すりこぎなどの家庭道具を武器に見立て、屋敷の調度品を徹底的に破壊しました。

流血沙汰や過度の殺傷は禁じられ、器物の破損は先妻側のプライドの回復、あるいは夫側による弁償を前提として処理されました。理不尽に捨てられた女性が自らの名誉を回復し、共同体に対して社会的制裁を可視化するための「公認されたガス抜き装置」として機能していたのです。

この凄まじい女の意地と情念は、やがて芸能の世界にも取り込まれました。江戸時代、初代市川團十郎が元禄12年(1699年)に初演したのが、市川宗家の家芸である歌舞伎十八番嫐(うわなり)です。嫉妬に狂う先妻の生霊や怨霊が、夫と後妻の前に現れて荒れ狂うという迫真の荒事(あらごと)であり、当時の庶民たちを熱狂させました。

台本が散逸したため長らく上演が途絶え「幻の演目」とされていましたが、後世の歌舞伎俳優たちによって復曲上演の試みが重ねられており、日本人の精神史における「嫐」の重みを物語っています。

山口 彩花
著者

山口 彩花

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。