家庭に手の届かない超高級品だったテレビを一気に大衆文化へと押し上げた立役者が、新橋駅前や日比谷公園などに設置された「街頭テレビ」でした。当時の新聞報道や記録映像によれば、1台のモニターを取り囲む群衆は時に数千人規模に膨れ上がったとされます。その熱狂の中心にあったのが、力道山が繰り広げた街頭テレビのプロレスブームです。戦後の荒廃から立ち上がろうとする日本人にとって、屈強な外国人レスラーを空手チョップでなぎ倒す力道山の姿は、単なる娯楽を超えた国民的カタルシスとなりました。
1950年代後半、経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した高度経済成長期を迎えると、テレビは白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫とともに「三種の神器」と称され、大衆消費社会の象徴となります。日本機械工業連合会や内閣府の消費動向調査によれば、白黒テレビの家庭普及率は1955年のわずか0.9%から、皇太子殿下(現在の上皇さま)のご成婚パレードが生中継された1959年には約23%へ急増。1964年には87.8%という驚異的な数値を叩き出しました。
続くカラー放送へのシフトにおいても、明確な起爆剤が存在しました。カラーテレビ普及の理由として決定打となったのは、1964年の東京オリンピックと、カラーテレビ・クーラー・自動車が「新・三種の神器(3C)」としてもてはやされた1960年代後半の所得倍増です。開会式の鮮やかな青空と各国選手団の紅白色をありのままに見たいという大衆の強烈な欲求が、量産効果による製品価格の下落と相まって爆発的な買い替え需要を生み出しました。1970年の大阪万国博覧会を迎える頃には、日本の家庭のリビングに「総天然色」の映像が定着したのです。