スター街道を一気に駆け上がったように見える反町隆史ですが、そのキャリアの黎明期には知られざる試行錯誤と挫折がありました。1973年12月19日、埼玉県浦和市(現・さいたま市)に生まれた彼は、本名である「野口隆史」名義で10代半ばから芸能界に身を置いています。
中学時代にジャニーズ事務所へ入所した彼は、当時一世を風靡していた光GENJIのバックダンサーグループ「平家派(へいけは)」のメンバーとして活動を開始しました。この平家派には、後にTOKIOとしてデビューする城島茂や国分太一、V6の坂本昌行、長野博、井ノ原快彦といった錚々たる顔ぶれが名を連ねていました。当時のアイドル誌のグラビアや歌番組のバックで踊る姿は残されているものの、反町自身は当時のインタビューなどで「周囲のダンススキルの高さやアイドルとしての適性に思い悩み、自分の居場所を模索していた」と率直に振り返っています。高校進学とともに事務所を離れる決断を下した背景には、既成のアイドル枠に収まりきらない強い自己表現への渇望がありました。
退所後の彼が選んだ活路が、身長181cm、股下88cmという日本人離れした骨格を武器にしたファッションモデルへの挑戦でした。厳しいオーディションを勝ち抜き、雑誌『MEN'S NON-NO』や『CHECK MATE』の専属・レギュラーモデルとして起用されると、その彫刻のような顔立ちと圧倒的なプロポーションで瞬く間にトップモデルへと君臨。さらにはパリ・コレクションのランウェイを歩く快挙まで成し遂げました。
モデルとしての成功を経て、俳優への本格転向を目指す際、所属事務所研音の社長によって授けられたのが現在の芸名「反町隆史」です。この名前は、昭和のプロボクシング界で東洋ウェルター級王者として名を馳せたハードパンチャー「龍反町(りゅう・そりまち)」に由来しています。「リングの上で果敢に打ち合うボクサーのように、骨太でタフな表現者になってほしい」という願いが込められたこの芸名を背負い、1994年のドラマ『毎度ゴメンなさぁい』で俳優デビューを果たすと、瞬く間に平成の主役へと躍進していきました。