2000年代に入り、イギリス公文書館所蔵の機密資料や元MI6将校のリチャード・カレンらの調査によって、ラスプーチン暗殺の真相に国際諜報戦の決定的なピースが加わりました。
当時、第1次世界大戦で甚大な被害を出していたロシアでは、反戦論者であったラスプーチンが皇帝夫妻を動かし、ドイツ帝国と単独講和を結ぶのではないかという懸念が連合国側に強くありました。もしロシアが東部戦線から離脱すれば、ドイツの大軍が西部戦線に雪崩れ込み、イギリスとフランスは壊滅的打撃を受ける危険があったのです。
現場となったモイカ宮殿には、オックスフォード大学時代からのユスポフの学友であり、当時ペトログラードに駐留していた英秘密情報部(MI6)の諜報員オズワルド・レイナーが同席していたことが現在では有力視されています。検死写真に残された額の致命傷は、ユスポフらが使った自動拳銃の小口径弾痕ではなく、英軍制式の「ウェブリー・リボルバー(.455口径)」による破壊痕と極めて正確に一致していました。
ロシアのネットコミュニティや歴史愛好家の間でも、「怪談話として消費されていたラスプーチンの最期が、実は第1次世界大戦の命運を左右したイギリス情報機関による冷徹な工作だったとは衝撃的だ」「ユスポフの手記は、外国情報部との共謀を隠蔽し、私刑を愛国的な神話に仕立て直すための偽装工作だったのではないか」といった冷静な検証の声が支配的になっています。