シパーヒーの乱の真相と原因|東インド会社解散の歴史を徹底解説

シパーヒーの乱の真相と原因|東インド会社解散の歴史を徹底解説

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各地で猛威を振るった反乱軍でしたが、共通の軍事戦略や統一された指揮系統を欠いていました。さらに、シク教徒やグルカ兵などの一部勢力がイギリス側に味方したことも影響し、1857年9月にはデリーが陥落。翌1858年には主要な拠点が次々と制圧され、反乱は事実上鎮圧されました。

反乱の盟主とされたバハードゥル・シャー2世はビルマ(現在のミャンマー)のラングーンへ流刑となり、1862年に同地で客死。これにより、330年余り続いたムガル帝国は完全に滅亡しました。

反乱の責任を追及されたイギリス東インド会社は、1858年8月に制定された「インド統治改善法」によって統治権を剥奪され、1874年には正式に解散へと追い込まれます。そしてイギリス本国政府のヴィクトリア女王による直接統治が開始され、1877年にはヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任する「インド帝国」が正式に成立しました。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。