日野原氏の医療人としての軌跡は、まさに日本近代医学の歩みそのものでした。京都帝国大学医学部を卒業後、1941年に聖路加国際病院の内科医となって以来、米国留学で学んだ患者中心の全人医療や看護教育の刷新を日本に定着させました。
その人生観を決定づけたのが、1970年に発生した「よど号ハイジャック事件」での人質体験です。福岡へ向かう日航機内で犯人グループに拘束され、死の恐怖と隣り合わせの4日間を過ごした日野原氏は、解放された瞬間に強烈な啓示を受けたと語っています。「これからの人生は、天からいただいたおまけの命。自分のためではなく、すべて他者のために捧げよう」と誓ったのです。
この転換点を機に、日野原氏は日本の医療システム改革に本格的に乗り出しました。特に大きな功績が「生活習慣病」という概念の提唱です。それまで加齢によって不可避的に発症すると考えられていた「成人病」という呼称に疑問を呈し、食習慣や運動、ストレス管理といった日々の生活態度が病気を防ぐ鍵であると訴え続けました。1996年に旧厚生省が正式に「生活習慣病」へと名称変更を行った背景には、日野原氏の四半世紀にわたる啓発活動がありました。