ヴェネツィアの歴史に触れる際、まず押さえておきたいのが、この空間が持つ特別な格付けです。市内に無数に点在する小さな広場は、方言で「カンポ(Campo=元々は野原の意)」と呼ばれますが、「ピアッツァ(Piazza)」という格式高い呼称を許されているのは、市内で唯一このサンマルコ広場だけです。まさに共和国の政治・宗教・祝祭のすべてが集約された至高の舞台でした。
ナポレオン世界一美しい広場の歴史において語り継がれる通り、フランス軍による占領後、ナポレオンは広場を取り囲む旧政庁(プロクラティエ・ヴェッキエ)と新政庁(プロクラティエ・ヌオーヴェ)を繋ぐ西側に、自身の宮殿として「ナポレオン翼(現在はコッレール博物館の一部)」を建設させました。中世から続く歴史的統一美を完成させたその壮麗さに感嘆し、彼がこの空間を絶賛した背景には、自らの権力を誇示するにふさわしい劇場空間としての完成度の高さがありました。
広場の海側、大運河(カナル・グランデ)に面した小広場(ピアッツェッタ)に立つと、2本の巨大な花崗岩の円柱が威厳を放っています。円柱の頂上には、ヴェネツィアの守護聖人である「聖テオドーロ」像と、現在の象徴である聖マルコを象った「有翼の獅子」像が鎮座しています。中世ヴェネツィア共和国時代、この2本の柱の間は公開処刑の場として使われていたため、地元では「柱の間を通ると不吉なことが起きる」という言い伝えが今なお残り、生粋のヴェネツィア人は決して柱の間を歩かないという興味深い歴史の影も残されています。