グループの歴史上、最も世間を騒然とさせ、同時にグループの運命を決定づけたのが荒井注 脱退理由 真相と、それに続く志村けん 加入経緯です。
当時、『8時だョ!全員集合』で荒井注さんが放つ「何だ、バカヤロー!」「This is a pen!」のギャグは社会現象となり、子どもから大人までが真似をしていました。しかし1973年秋、荒井さんは突如として脱退の意思を表明します。一部の週刊誌やネットの噂では「いかりや長介との深刻な不仲」「ギャラの取り分を巡る大喧嘩」などが囁かれましたが、真相は異なるものでした。
いかりや長介さんの自著『だめだこりゃ』や荒井注さん本人の回想録によると、決定的な要因は「体力的な限界と、毎週生放送で新ネタを要求される過酷な精神的プレッシャー」でした。荒井さんはメンバーの中でも最年長格であり、いかりや長介さんよりも年上でした。毎週土曜日の生放送に向けて、木曜日のネタ会議、金曜日のリハーサル、土曜日の本番直前までの過密スケジュールといかりやさんの厳しいダメ出しが続きます。荒井さんは「もう体力が持たない。これ以上やったら死んでしまう」「若い奴らに任せて自分はのんびり酒を飲みたい」と本音を吐露。引き留めるいかりやさんに対し、固い決意を貫き通して1974年3月に円満脱退を果たしました。
後任として白羽の矢が立ったのが、当時24歳の志村けんさんでした。高校卒業直前にいかりやさんの自宅前で12時間待ち続けて弟子入りを勝ち取り、長年付き人(ボーヤ)を務めていた志村さんは、お笑いコンビ「マックボンボン」での修行を経てグループに復帰していました。荒井注さんの脱退に伴い、いかりやさんは「外部から有名な芸人を入れるとバランスが崩れる。ドリフの呼吸を知り尽くしている志村を正規メンバーにする」と決断します。
しかし、加入当初の志村さんを待ち受けていたのは過酷な現実でした。荒井注さんの強烈なキャラクターに慣れ親しんだファンから「あいつは面白くない」「荒井注を戻せ」と強烈なバッシングを浴び、舞台上で何をしても客席が静まり返るスランプに陥ります。救ったのは、リーダーいかりや長介さんの「自分の好きなようにネタを作ってやってみろ」という後押しでした。そして1976年、故郷の民謡をアレンジした『東村山音頭』を披露するや否や、日本中に空前の大爆発を巻き起こします。志村けんさんの加入という劇的な血の入れ替えこそが、ドリフターズを昭和から平成へと語り継がれる不滅のレジェンドへと押し上げたのです。