激しいダンスで火柱が小さくなり、やがてパチパチという静かな薪の爆ぜる音と赤い熾火(おきび)だけが残る終盤。ここで歌われる「遠き山に日は落ちて」や「今日の日はさようなら」は、なぜ子どものみならず引率の大人たちの涙腺までも強く刺激するのでしょうか。
「遠き山に日は落ちて」の旋律は、チェコの大作曲家アントニン・ドヴォルザークが故郷を遠く離れたアメリカで作曲した『交響曲第9番「新世界より」第2楽章(ラルゴ)』に由来します。イングリッシュホルンが奏でるペンタトニック(五音音階)に近い哀愁のメロディは、日本人の琴線に触れる民謡音階と極めて高い親和性を持っています。そこに堀内敬三が与えた「今日のわざをなし終えて 心かろく安らえば」という歌詞が乗ることで、労働や学びの一日を全うした者だけが味わえる神聖な充足感が心を満たします。
文化人類学者のヴィクター・ターナーが提唱した「リミナリティ(境界性)」と「コミュニタス」の概念が、この瞬間を鮮やかに説明してくれます。キャンプファイヤーという日常から切り離された暗闇の中で、同じ炎を囲んで歌い踊った人々は、社会的属性や日常の序列を剥ぎ取られた「純粋な仲間」へと変貌します。火が消えゆくプロセスは、その至福の共同体(コミュニタス)の終わりと、再び日常へと帰還しなければならない現実を告げています。激動の歓喜から静寂への落差、そして火の揺らぎが放つ「1/fゆらぎ」による副交感神経の刺激が、深い情動の解放(カタルシス)をもたらし、涙となってこぼれ落ちるのです。