浅葱色とはどんな色?新選組の羽織の理由や水色との違いを徹底解説

浅葱色とはどんな色?新選組の羽織の理由や水色との違いを徹底解説

浅葱色とはどんな色?新選組の羽織の理由や水色との違いを徹底解説とは一体何なのか? 背景や要点を整理してお届けします。

新選組の凛々しいイメージによって高潔な印象を持つ現代人にとって、信じがたい歴史的事実があります。それは、江戸時代の町人文化において浅葱色が「野暮で貧相な田舎侍」の代名詞として蔑まれていたという側面です。

江戸の服飾史を紐解くと、「浅葱裏(あさぎうら)」という特異な俗語に行き当たります。当時、参勤交代などで地方から江戸へ出てきた貧しい小禄の武士たちは、木綿の羽織の裏地に、安価で色褪せしにくい浅葱色に染めた布を使っていました。洗練された粋(いき)の美意識を重んじる江戸っ子や吉原の遊女たちは、彼らの着こなしや垢抜けない立ち振る舞いを「浅葱裏」と呼び、からかいの対象にしていたのです。

式亭三馬の滑稽本や当時の川柳にも、「浅葱裏」を田舎者として風刺する記述が数多く残されています。新選組が結成初期にだんだら羽織を誂えた際、京都の町衆から「まるでお芝居のようだ」「田舎浪士の浅葱色」と冷ややかな目で見られた背景には、この身分文化的な先入観が色濃く影を落としていました。

さらに注目すべき史実として、新選組隊士が実際にだんだら羽織を着用していた期間は極めて短かったという点が挙げられます。元治元年(1864年)の池田屋事件の際、近藤や沖田総司らはだんだら羽織を着用して出動したと記録されていますが、夜間戦闘において目立ちすぎて標的になりやすいこと、隊士の間でもデザインに対する評判が芳しくなかったことなどから、事件直後には事実上廃止されました。以後の新選組は、実戦的な黒や濃紺の隊服へと移行していったのです。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。