泥沼の愛憎劇ではなく、表向きはスマートな「円満離婚」として発表された二人ですが、水面下では修復不可能な溝が生じていました。当時の芸能関係者の取材記録や手記から浮かび上がる離婚の決定的な理由は、大きく分けて以下の3点に集約されます。
1. 孤高の天才肌と規律正しい生活のアンバランス
玉置浩二は感情をそのまま音に変える純粋なアーティスト気質であり、創作活動に入ると昼夜を問わず没頭する生活を送っていました。一方、薬師丸ひろ子は幼少期から映画界の過酷な撮影現場で培った高い自己管理能力を持ち、健康的で規則正しい生活を重んじるタイプでした。日々の生活リズムの乖離は、年数を重ねるごとに精神的な疲弊へとつながっていきました。
2. 実家・両親との距離感と「敷地内同居」の軋轢
二人は東京都世田谷区にある薬師丸ひろ子の実家敷地内に豪邸を新築し、実質的な敷地内同居の形で暮らしていました。薬師丸ひろ子を幼少期から支え続けた両親との絆は非常に強固であり、これが玉置浩二にとっては次第に心理的な圧迫感となっていったと報じられています。繊細で自由な精神を重んじる玉置にとって、家族の輪に囲まれた環境は創作上の息苦しさを生む要因となりました。
3. 表現者同士のプライドと心理的境界線の崩壊
互いに強い表現欲求を持つプロフェッショナルであるがゆえに、家庭内に「絶対的な安らぎ」を保つことが難しくなっていきました。玉置の抱える繊細な感情の起伏を薬師丸が献身的に支えようとしたものの、いつしかパートナーシップの均衡が崩れ、互いの自立を守るためには別離を選ぶほかなかったのが実情です。