長年ネットコミュニティや週刊誌で語られてきた「ジュディマリ不仲説」ですが、その本質は「感情的なケンカ」という単純なものではなく、「クリエイティブの主導権争いとプロとしての美学の衝突」という極めて高度なバンドダイナミクスにありました。
結成当初、バンドのリーダーであり全楽曲の作詞・作曲の主導権を握っていたのは恩田快人でした。初期のパンクテイスト溢れる楽曲群は恩田のセンスによるものでしたが、バンドが進化するにつれ、鋭敏なポップセンスと変則的なギターリフを駆使するギタリスト・TAKUYAが台頭します。中期の『Over Drive』『そばかす』『くじら12号』など、大ヒット作の多くをTAKUYAが手掛けるようになると、サウンドプロデュースの実権は急速にTAKUYAへとシフトしていきました。
関係者の証言や当時の音楽誌インタビューによると、緻密なアンサンブルと実験的なアレンジを追求するTAKUYAと、シンプルでストレートなロックンロールを愛する恩田の間には、埋めがたい音楽性の乖離が生じていました。1998年、YUKIの喉のポリープ手術を機にバンド活動が一時休止した際、恩田はすでに脱退の意向を固めていたと伝えられています。
「恩田快人が抜けるのであれば、JUDY AND MARYとしての看板を掲げ続ける意味はない」——この判断が、メンバー全員およびマネジメントサイドの共通見解となり、アルバム『WARP』の制作と東京ドーム公演をもってバンドを解散させるという最終決定へと繋がったのです。互いの才能を認め合い、極限まで高め合ったからこそ、妥協した形での存続を選ばなかったプロフェッショナルとしての結末でした。