貴船神社の本宮から貴船川沿いの参道を北へ約700メートル、徒歩にして10分ほど歩き進めると、周囲の喧騒がふっと途切れる結界のようなエリアに行き当たります。ここがかつて貴船神社発祥の地であった奥宮です。なぜ多くの参拝者がこの場所に対して「怖い」という独特の感情を抱くのか、現場の環境と信仰の歴史から3つの要因が浮かび上がります。
第1の理由は、本殿の真下に眠ると伝わる「日本三大龍穴」の強烈な存在感です。奈良の室生龍穴神社、備前の龍穴と並び称される貴船の龍穴は、大地のエネルギー(龍脈)が噴出する神聖な穴とされ、決して肉眼で覗き見ることは許されない禁足地となっています。社殿の改修工事を行う大工ですら、龍穴の上に布を敷いて作業したという伝承が残るほど神聖視されており、敏感な参拝者がこの濃密な霊気に圧倒され、一種の威圧感や眩暈を「怖さ」として知覚することは自然な生体反応ともいえます。
第2の理由は、昼間でも陽光を遮る鬱蒼とした巨木群と圧倒的な静寂です。貴船川のせせらぎが遠のき、樹齢数百年を超える杉の巨木がそびえ立つ境内は、風の音すら吸い込まれるような静けさに包まれています。日常の都市生活で人工的な音や情報に晒されている現代人にとって、この極限の無音と自然の深奥は、自己の内面と対峙させられる心理的緊張感(アウェアネス)を生み出します。
第3の理由は、境内に鎮座する「御船形石(みふねがたいし)」と古代祭祀の痕跡です。神武天皇の母である玉依姫命(たまよりひめのミコト)が黄船に乗って浪速から淀川、鴨川を遡り、貴船の地に上陸した際、その船を人目に触れぬよう小石で覆い隠したと伝わる遺構です。苔むした無数の小石が船の形に積まれたその異様な佇まいは、数千年にわたる原生的な自然崇拝の記憶を今に伝えており、訪れる者に神秘を超えた畏敬の念を抱かせます。