芥川賞と直木賞の違いを即答!純文学と大衆小説の選考基準を徹底比較

芥川賞と直木賞の違いを即答!純文学と大衆小説の選考基準を徹底比較

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今日では日本を代表する巨大文芸イベントとなった芥川賞と直木賞ですが、そのルーツは一人の文豪による友への哀悼と出版戦略に端を発しています。 創始者は、文藝春秋社の創業者であり、自らも流行作家として一世を風靡した菊池寛です。1935年(昭和10年)、菊池は雑誌『文藝春秋』の誌上にて両賞の設立を発表しました。賞の名称に冠されたのは、菊池の生涯無二の友であり、若くして命を落とした二人の作家でした。 一人は、1927年(昭和2年)に「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」という言葉を残して自死した芥川龍之介。もう一人は、痛快無比な時代小説『南国太平記』などで大衆を熱狂させながら、1934年(昭和9年)に結核により43歳の若さで急逝した直木三十五です。 菊池寛は雑誌の販路拡大という経営的野心を抱きつつも、自著や回想録において「志半ばで逝った友の名を永遠に残し、生活に苦しむ若き才能を経済的にも支援したい」という強い友情の念を吐露しています。創設当初から「純文学の旗手・芥川」の名を新人に、「エンタメの鬼才・直木」の名を大衆文芸に振り分けたこの配置の妙こそが、1世紀近く経過した現在も機能し続けるシステムを生み出しました。 文学史に残る劇的な逸話として語り継がれているのが、若き太宰治による「芥川賞懇願事件」です。第1回芥川賞(受賞者は石川達三『蒼氓』)で落選した太宰は、選考委員であった川端康成から「私小説的な生活態度に難がある」と選評で批判されると激怒し、文芸誌上で猛反論を展開。続く第2回、第3回選考では、生活困窮と薬物中毒に苦しむなか、選考委員の佐藤春夫宛てに「泣きながら書いた」とされる数メートルに及ぶ手紙を送り、「どうか私に芥川賞をください」と哀願しました。しかし結局、太宰が芥川賞を手にする日は訪れませんでした。文壇史を彩るこうした生々しいドラマの数々も、両賞の権威を神格化させる一因となっています。

中川 明日香
著者

中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。