あの日の衝撃を忘れることはできない。2014年2月11日、後楽園ホール。愛弟子である中嶋勝彦との死闘を終えた直後、彼はリング上で静かに幕を下ろした。セレモニーも大々的な引退興行もない。あまりにも突然の去り際だった。
自らが立ち上げた「健介オフィス」(のちのダイヤモンド・リング)で後進を育て、自らもトップ戦線で戦い続けた。しかし、身体はとっくに悲鳴を上げていた。首や腰の慢性的な負傷、蓄積されたダメージ。何より「愛弟子にフォールを奪われた瞬間、すべてを託せると確信した」という本人の言葉通り、次世代へバトンを完全に渡した直観こそが引き金だった。プロレスという過酷なリングビジネスにおいて、己の引き際を自ら美学として完結させた稀有な例と言える。