草笛光子の人生を語る上で欠かせないのが、日本を代表する作曲家であり文豪・芥川龍之介の三男である芥川也寸志氏との関係です。
松竹歌劇団(SKD)出身の若き日の草笛は、日本初の冠バラエティ番組『光子の窓』(日本テレビ系)のメイン司会を務めるなど、昭和30年代のテレビ界におけるトップスターとして脚光を浴びていました。一方の芥川氏も、映画音楽やクラシック界の旗手として多方面で才能を発揮していた時代の寵児でした。2人は1960年に華々しく結婚し、当時のメディアからは「世紀のビッグカップル」として大々的に報じられました。
しかし、その結婚生活はわずか1年9ヶ月で終止符を打つことになります。離婚当時、世間では様々な憶測が飛び交いましたが、草笛自身が後年の手記や対談で明かした真相は、名門「芥川家」の看板の重みと、互いの多忙さ、そして「自立した表現者同士の相克」でした。
草笛は後年の対談で、「私は芥川家の嫁になりきれなかった。でも、彼という素晴らしい芸術家と出会い、同じ時間を過ごせたことは人生の大きな財産」と述懐しています。1989年に芥川氏が病のため58歳の若さで他界した際も、草笛は心からの追悼の言葉を捧げています。形としての結婚は短期間で幕を閉じたものの、互いの才能を認め合い続けた2人の絆は、泥沼の別れとは無縁の、極めて高潔なものでした。