若き日の唐沢寿明は、アクション俳優を志してジャパンアクションクラブの門を叩き、日々過酷なトレーニングに明け暮れていた。風呂なしのアパートで暮らし、食費にも事欠く極貧生活。それでも現場に立てる喜びだけが、彼を突き動かしていた。
当時の特撮現場は、現代のようなCG技術や安全装置が十分に整っていなかった。火薬の爆破は本物で、崖からの飛び降りや火炎の中を走り抜けるスタントも日常茶飯事だった。ある日のロケでは、スーツの隙間から火の粉が入り込み、皮膚を焼きながらもカットの声がかかるまで動きを止めなかったという。
「痛いとか怖いとか言っていられる状況じゃなかった」。後年、唐沢がバラエティ番組やインタビューで冗談交じりに振り返るエピソードの裏には、生き残りをかけた凄まじい執念が潜んでいる。理屈ではなく身体で覚えた間合いやリアクションの呼吸が、後に舞台やドラマで爆発的な存在感を放つ原動力となった。