インターネット上の検索コミュニティや一部のゴシップ報道では、長年にわたり「力道山ほどの英雄の未亡人なのだから、巨額の遺産で一生安泰だったはずだ」「贅沢な暮らしを謳歌したのではないか」という無責任な憶測が囁かれてきました。しかし、関係各所の証言や残された財務処理記録を照合すれば、その噂が完全な虚構であり、事実は正反対であったことが浮き彫りになります。
力道山が亡くなった翌年の1964年3月、敬子は無事に長女・浩美を出産しますが、悲嘆に暮れる暇もなく債権者や税務署の担当者が連日のように自宅へ押し寄せました。力道山には前妻との間に生まれた息子たち(百田義浩、百田光雄)もおり、複雑な親族関係の中で遺産分割協議と借金返済の責任が重くのしかかりました。
彼女が後年に上梓した渾身の自伝・手記『夫・力道山の真実―没後40年・初めて明かされる波乱の生涯』(双葉社)の中では、当時の筆舌に尽くしがたい苦悩が生々しく吐露されています。
「朝起きると玄関の前に見知らぬ男性たちが並んで立っていた。お腹を痛めて産んだばかりの娘を抱きかかえながら、ただ頭を下げて、主人が遺した書類の山と向き合うしかなかった」
所有していた高級車や貴金属、不動産は次々と差し押さえられ、あるいは負債の弁済のために処分されました。華やかな「未亡人」の肩書とは裏腹に、実態は「毎月の生活費を切り詰めながら、残された負債の整理と娘の養育に追われる日々」だったのです。贅沢どころか、自らの青春と私生活のすべてを犠牲にして、夫が遺した負の遺産の清算に奔走し続けたことこそが、隠された真実です。