愛媛・紫電改展示館が無料の理由と移転の全真相【国内唯一の奇跡】

愛媛・紫電改展示館が無料の理由と移転の全真相【国内唯一の奇跡】

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愛媛県愛南町に眠る紫電改が発見されたのは、昭和53年(1978年)11月のことでした。久良湾で養殖用のイカダを固定するアンカーを探していた地元ダイバーが、水深40メートルの海底で砂泥に埋もれた巨大な航空機の残骸を目撃したことが発端です。

翌1979年(昭和54年)7月14日、地元住民の強い願いと関係機関の尽力により、クレーン船による大規模な引き揚げ作業が決行されました。海面に姿を現したのは、フジツボや珊瑚に覆われながらも、原型を奇跡的に留めたジュラルミンの機体でした。調査の結果、この機体は終戦直前の昭和20年(1945年)7月24日、呉軍港などを空襲する米艦載機群を迎撃するために飛び立った、名高い第343海軍航空隊(通称・剣部隊)の所属機であることが判明しました。

源田実大佐が率いた第343海軍航空隊は、全国から腕利きのベテラン搭乗員を集結させた精鋭部隊でした。しかし、この日の豊後水道上空における大空中戦で、隊は21機もの紫電改を喪失。その戦闘で未帰還となったパイロットのうち、鴛淵孝(おしぶち たかし)大尉、磯野義弘中尉、加藤正衛兵曹長をはじめとする6名の搭乗員のいずれかが搭乗していた機体であることが特定されました。海中から機体が揚がった際、遺骨は見つかりませんでした。この紫電改そのものが、命を散らした若者たちの「墓標」となったのです。

中島 亮太
著者

中島 亮太

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