中村嘉葎雄の半生を語る上で避けて通れないのが、4歳年上の実兄・萬屋錦之介(初代中村錦之助)の存在です。錦之介は昭和の東映時代劇において「錦ちゃん」の愛称で親しまれ、美空ひばりらとともに一時代を築いた不世出の大スターでした。五男であった嘉葎雄にとって、四男の錦之介は幼少期から最も身近な手本であり、同時に役者として超えられない巨大な壁でもありました。
1960年代後半、日本映画界の斜陽化に伴い東映を離脱した錦之介は、自らの理想を追求するために独立プロダクション「中村プロダクション」を設立します。兄を敬愛する嘉葎雄も行動を共にし、錦之介が主演する舞台や映像作品を脇から献身的に支え続けました。当時のインタビューや関係者の手記には、「兄貴の情熱と芝居に対する狂気じみた姿勢に惹かれ、どこまでも付いていく覚悟だった」という嘉葎雄の胸中が残されています。
しかし、理想を掲げた中村プロの経営はやがて行き詰まり、1982年には約14億円とも報じられた莫大な負債を抱えて倒産に追い込まれます。さらに錦之介自身も国指定の難病「重症筋無力症」を発症し、長期闘病を余儀なくされるなど、一族は未曾有の荒波に呑まれました。この過酷な局面において、嘉葎雄は兄を心から支えつつも、破綻した組織に自身を埋没させることなく、役者個人としての看板を武器に外部の映画やテレビドラマへと果敢に活路を見出していきました。大スターの庇護から抜け出し、泥臭く自立したことで、嘉葎雄は独自のバイプレイヤーとしての真価を開花させることになったのです。