本作最大の謎として読者の間で意見が割れるのが、救出された白象が最後に見せた態度です。仲間の象たちに助け出され、憎きオツベルが命を落とした直後、白象は歓喜するのではなく、以下のように描写されます。
「白象は、寂しく笑ってそう云った。眼には涙が、一ぱいたまってゐた。」
なぜ白象は助かったにもかかわらず、寂しく笑い、涙を流したのか。文学研究や教育現場での議論を踏まえると、次の3つの核心的な理由が浮かび上がります。
第一に、「知ってしまった悪意と失われた無垢」です。白象はかつて、人間社会を善意と好奇心の対象として見ていました。しかし、搾取と裏切りを経験したことで、もはや以前のような無邪気な自然の存在へは戻れなくなった精神的喪失を嘆いています。
第二に、「自らの手(仲間)で奪ってしまった命への悔恨」です。賢治の仏教思想(法華経精神)において、いかなる理由があれ他者の生命を奪うことは深い苦悩を生みます。自らのSOSによってオツベルが無惨に踏み潰された事実に対し、白象は加害者性の一端を背負うことになりました。
そして第三が、結末に添えられる「サンタマリア、もう済んだよ」という牛飼いの一言です。この一文によって、読者は「ただの勧善懲悪の痛快劇」から一転、生と死、業(カルマ)の連鎖という重い問いを突きつけられることになります。