この革新的な文芸運動は、明治末期から大正期にかけて爆発的な広がりを見せた。正岡子規の門下であり、新傾向俳句の旗手として定型破りを推し進めたのが河東碧梧桐だ。彼は従来の定型に苦言を呈し、より自由な感情表現の可能性を模索し続けた。
その志をさらに押し進め、主観の深化と無季無定型を強烈に唱導したのが荻原井泉水である。彼が主宰した主宰誌や門下の結集軸となった「層雲社」(層雲)は、まさに自由律俳句の巨大な実験場となった。五七五の枠組みを外すことは、単なるルールの放棄ではない。自己の内面とどこまで誠実に向き合えるかという、文士たちの命がけの試練だったのだ。