1971年12月にキャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)および日本コロムビアなどからリリースされた「ピンポンパン体操」は、発売直後から記録的な大ヒットを記録しました。オリコンチャートの上位を席巻し、公称レコード売上260万枚という、当時のポップス界のトップアイドルや演歌歌手すら凌駕する驚異的な数字を叩き出したのです。翌1972年には第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞し、単なる番組内企画にとどまらない国民的ヒットソングへと昇華しました。
この大成功の背景には、フジテレビの朝の顔として1966年から1982年まで放送された『ママとあそぼう!ピンポンパン』制作陣による、NHK『おかあさんといっしょ』への明確な対抗意識が存在しました。先行する国営放送の品行方正で教育的なアプローチに対し、民放ならではの「子どもが理屈抜きに熱中できるエンターテインメント」を志向したのです。
プロジェクトの核となったのが、当時歌謡界で快進撃を続けていた作詞家の阿久悠と、CMソングの帝王と呼ばれた作曲家の小林亜星でした。阿久悠は自著や回想インタビューの中で、「大人が押しつけるお行儀の良いお約束ではなく、子どもが本来持っている泥臭い野生やエネルギーをそのまま肯定する歌を作りたかった」と述懐しています。その思想を受け止めた小林亜星は、重厚なブラスセクションとファンキーなベースラインを融合させ、大人の耳にも耐えうる洗練されたグルーヴを構築しました。この天才クリエイター2人の化学反応こそが、260万枚という驚愕のセールスを生み出す原動力となったのです。