まず押さえておきたい基本事項として、山部赤人の読み方は「やまべのあかひと」です。姓(カバネ)は宿禰(すくね)を帯びており、正式には山部宿禰赤人と称します。氏族としての山部氏は、古代朝廷において山林や河川の管理、猟人などを統括した職掌にルーツを持つ氏族です。
文学史上で燦然と輝く「歌聖」でありながら、その身分経歴は驚くほど地味な下級官吏でした。当時の正史『続日本紀』には五位以上の貴族が任官・昇叙された記録が克明に残されますが、そこに山部赤人の名は一切登場しません。この厳然たる事実から、彼が生涯を通じて六位以下の下級役人、おそらくは宮中の記録係や行幸の随員を務める下級官職にとどまっていたことが確実視されています。
活動時期は、万葉集に収められた作歌年代から神亀・天平年間(724年〜736年頃)であることが判明しています。聖武天皇による吉野行幸や難波行幸に随行し、その土地の雄大さや皇権の栄華を讃える歌を詠み上げました。しかし、生没年は完全な不詳であり、天平8年(736年)以降の記録はぷっつりと途絶えています。中央政界の権力闘争とは無縁の地位に身を置きながら、言葉の美しさという一点のみで自らの名を後世へ刻みつけた、まさに異色の宮廷詩人でした。