広島出身のロックスターたちは、上京やブレイクの過程においても既存の業界慣習を打ち破る破天荒なエピソードに事欠きません。
吉川晃司の経歴における最大の伝説は、修道高校時代に世界を目指した水球選手でありながら、「ロックスターになる」と決意して大手芸能プロダクション(渡辺プロダクション)へ自ら手紙を送りつけ、社長直談判で道を切り拓いた行動力です。デビュー当初、歌謡界のアイドル路線を用意されながらも、頑なにロックバンドスタイルへの転換を求め、COMPLEX結成や独立へと舵を切った姿勢は、自立を何より尊ぶ広島男児の典型例です。
一方で、そのギラギラした反骨のイメージを軽やかに刷新したのが奥田民生でした。広島皆実高校時代から地元のアマチュアシーンで頭角を現していた奥田民生は、UNICORN(ユニコーン)としてメジャーデビュー後、バブル崩壊前後の日本に「力まないカッコよさ」を提示しました。しかしその音楽的背景には、ビートルズ直系の精緻なコード進行と卓越したボーカル技術があり、「脱力した佇まいでありながらプロの職人技を極める」という新たな広島スタイルを打ち立てました。
瀬戸内海の島特有の情緒を持ち込んだのが、因島出身のポルノグラフィティです。因島高校で同級生だった岡野昭仁と新藤晴一らは、造船の島として知られる因島のノスタルジーと、どこか物悲しくもキャッチーなラテン歌謡の要素を融合させました。島特有の閉塞感と外の世界への憧憬が、彼らの哀愁を帯びたメロディラインの根源となり、数々のミリオンヒットを生み出す原動力となったのです。