悲劇のヒロインであった手児奈は、平安時代から鎌倉時代を経て「神仏習合の女神」へと昇華しました。その信仰の中心地が、市川市真間に鎮座する手児奈霊神堂です。
737年(天平9年)、行基菩薩が手児奈の霊を慰めるために建てた求法寺(ぐほうじ)が、現在の弘法寺(ぐぼうじ)の起源とされています。文亀元年(1501年)、日蓮宗の日法上人が霊夢によって手児奈の神託を受け、手児奈霊神堂として再興されました。
自らの美貌によって子孫を残せず世を去った手児奈は、「現世の女性たちには同じ悲しみを味わわせず、無事に子を産み育ててほしい」という慈悲の誓願を立てたと伝えられています。この信仰は江戸時代に庶民の間で爆発的な広がりを見せ、浮世絵師の歌川広重や鈴木春信が描くなど、江戸近郊の参拝スポットとして定着しました。
現在でも手児奈のご利益として「安産祈願」「子宝成就」「無事成育」、さらには「良縁成就」を求め、年間を通じて全国から多くの参拝者が訪れています。境内には「真間の井」と呼ばれる井戸跡があり、手児奈がかつて水を汲んでいた神聖な場所として大切に守られています。