「ラムは平気だがマトンは匂いが苦手」「いや、あの独特の野性味こそが羊肉の真骨頂だ」と好みが大きく分かれる背景には、脂質に含まれる化学成分の決定的な差異があります。単に「古い肉だから臭う」わけではありません。
羊肉特有のアロマを形成する主犯格は、皮下脂肪に多く含まれる「特定分岐鎖脂肪酸(BCFA)」と呼ばれる成分です。羊は反芻動物であり、胃の中の微生物発酵によって草の繊維を分解する過程でこれらの脂肪酸を生成します。仔羊であるラムの段階ではこの脂肪酸の蓄積が極めて少ないのに対し、成羊となって牧草を食べ続けるマトンでは、脂肪組織に濃厚に濃縮されていきます。
さらに、成羊が摂取する大量の牧草(青草)に含まれるクロロフィル(葉緑素)が分解されて生じる「フィタノール」という代謝物も、独特の青臭さや野性的な風味を後押しします。つまり、マトンの香りは「豊かな大地で青草をたっぷり食んで成熟した証拠」であり、生物学的な必然として生まれる風味なのです。
この脂質は融点(脂が溶ける温度)が約42〜44℃と牛や豚に比べて高いため、人の体温(約36〜37℃)では溶けにくく、口の中に残りやすい性質を持っています。これが「冷めると急激にクセを感じる」「口の中に脂の膜が張る」と言われる物理的な理由です。