まず基本事項として、一蓮托生の読み方は「いちれんたくしょう」です。稀に「いちれんとうせい」などと読み間違えられるケースが見受けられますが、托(たく)は「身を寄せる・託す」、生(しょう)は「生まれる・生きる」を指します。
辞書的な定義では、「善悪や成否にかかわらず、行動や運命を共にすること」と説明されます。しかし、文化庁が過去に実施した国語に関する世論調査や各種言語動態の分析データを俯瞰すると、一般層における使用イメージは「運命を共にする(約6割)」に加え、「共倒れになる」「無理心中・道連れ(約3割)」といったネガティブ寄りの解釈が一定割合を占めている実態が浮き彫りになっています。
なぜ本来の崇高な誓いが、ダークなニュアンスを帯びるようになったのでしょうか。歴史的な用例の変遷を追うと、明治から昭和初期にかけての文豪作品や大衆演劇において、心中を覚悟した男女の誓いや、任侠映画における義理立ての場面で「地獄の底まで一蓮托生」といった修飾を伴って多用されたことが契機となっています。その結果、大衆文化を通じて「逃げ場のない絶体絶命の連帯関係」という劇的なイメージが定着していったのです。