現在、富士河口湖町の観光名所として親しまれている「西湖いやしの里根場」ですが、この地は単なるテーマパークとして作られた施設ではありません。かつてこの場所には、カブト造りと呼ばれる美しい茅葺き屋根の民家が40棟以上立ち並び、「日本一美しい茅葺きの里」と称えられた根場集落が存在していました。しかし、その平和な農村の日常は、1966年(昭和41年)9月25日未明、突如として断ち切られることになります。
直前に日本列島を通過した台風24号による地盤の緩みに加え、大型の台風26号がもたらした記録的な集中豪雨が御坂山系・足和田山を直撃。深夜、背後の山腹が大規模に崩壊し、推定数十万立方メートルに及ぶ巨大な土石流が集落を瞬時に飲み込みました。山梨県および当時の関係機関の公式記録によると、西湖地区全体で死者・行方不明者94名(根場地区だけで60名以上)という甚大な人的被害を出し、集落内の茅葺き家屋のほとんどが押し流され壊滅しました。
被災後、集落のあった場所は土砂災害危険区域に指定され、生存した住民たちは西湖の対岸など安全な土地への集団移転を余儀なくされました。かつての美しい集落は巨大な砂防ダムと更地に変わり、人々の生活の痕跡は完全に姿を消したのです。生存者や遺族が残した手記には、「慣れ親しんだ故郷が一瞬で瓦礫の山となり、戻ることすら許されなくなった深い喪失感」が生々しく綴られています。
転機が訪れたのは、被災から40年近くが経過した2000年代初頭でした。富士河口湖町公式資料によると、過疎化が進む地域活性化と、失われた伝統文化および景観の再生、そして何より災害の記憶と教訓を未来へ継承する目的から、集落復元プロジェクトが本格始動。かつての地割や伝統的なカブト造りの茅葺き民家の設計を忠実に再現し、2006年(平成18年)7月に「西湖いやしの里根場」として開館・第一次オープンを果たしました。現在では約20棟の茅葺き屋根が立ち並び、悲劇の爪痕を乗り越えた「不屈の再生のシンボル」として世界中から人々を迎え入れています。