ネット上の言説や一般的なイメージにおいて、「安藤百福は強固な特許網で市場を独占し、巨万の富を築いた独善的経営者」という誤解が散見されます。しかし、歴史的事実はまったく逆でした。
チキンラーメンの成功直後、市場には数百社におよぶ粗悪な模倣品や偽物が出回り、食中毒事件まで発生する事態となりました。百福は製法特許を取得して法的防衛を行う一方で、1964年(昭和39年)に自らの特許権利を公開・譲渡し、「社団法人日本ラーメン工業協会」を設立して初代会長に就任したのです。
特許使用許諾を広く同業他社に与え、製造基準と品質管理のガイドラインを業界全体に統一したこの決断は、一企業の短期的な利益よりも産業全体の健全な育成と消費者保護を最優先した結果でした。もし百福が特許を独占して他社を排除し続けていれば、即席麺が日本の国民食となり、さらには世界食へとスケールすることはなかったと経済史の研究者からも高く評価されています。
また、百福は現場主義を徹底し、「即席麺は平和な世界でしか育たない」として、災害時の緊急支援物資提供や食育活動を初期から企業DNAに組み込みました。私利私欲を超えた大局観こそが、百福の経営哲学の最大の特徴です。