FIELD OF VIEWが2002年12月、赤坂BLITZでのワンマンライブをもってその活動に終止符を打った際、世間には「商業的な失速」や「メンバー間の不仲」といった無責任な憶測が飛び交いました。しかし、当時の関係者証言や音楽専門誌のインタビュー、浅岡雄也が後に語った手記を精緻に読み解くと、まったく別の構造的理由が浮かび上がってきます。
最大の要因は、「作られた黄金期からの脱却と、自作自演ロックバンドとしての自立」に伴うクリエイティブな葛藤でした。1994年に前身バンド「view」としてデビューした彼らは、翌1995年に「FIELD OF VIEW」へと改名し、黒のスーツをトレードマークとするクリーンなイメージで再デビューを飾ります。当時、音楽制作会社ビーイング(Being)は、織田哲郎や坂井泉水(ZARD)ら一流クリエイターの楽曲を提供し、徹底的なプロデュース体制でミリオンヒットを量産する方式を確立していました。
このプロデュースワークは爆発的な成功をもたらした一方で、メンバー自身の内部には次第に強い葛藤を生むことになります。ドラムの小橋琢人、ギターの小田孝、ベースの新津健二、そして浅岡雄也の4人は、本来ライブハウス叩き上げのプレイヤー気質を持つミュージシャンでした。シングル曲において提供曲が中心となる体制から、アルバム曲を中心にメンバー自作曲の比率を増やし、2001年には名義を「the FIELD OF VIEW」へと改名。レーベル移籍(ZAIN RECORDSからFlyBlueへ)などを経て、より骨太なオルタナティブ・ロックやパワー・ポップへと舵を切りました。
しかし、世間が求めたのは永遠に色褪せない「スーツ姿の爽やかなポップロック」であり、メンバーが追求した「等身大のバンドサウンド」との間には市場のギャップが広がっていきます。関係者の証言によると、当時のミーティングでは「これ以上、自分たちの音楽探求と商業的な看板の乖離を放置したまま延命させるべきではない」という合意が極めて自然に形成されたといいます。泥沼の対立による空中分解ではなく、「バンドとしての表現をやりきり、お互いの未来のために前を向いて選んだ解散」というのが、2002年の解散劇における客観的な真相です。