SNSの相談コミュニティや社内のハラスメント窓口で頻繁に交わされる言説に、「あの人は悪気があって言ったわけではないから、大目に見てあげるべきだ」というものがあります。いわゆる「天然キャラ」や「裏表のない正直な人」という免罪符です。しかし、コミュニケーション心理学の観点から言えば、これは極めて危険な誤解と言わざるを得ません。
人間関係における打撃の大きさは、発信側の「意図」ではなく受信側の「被害度」によって決まります。「悪気がない」という免罪符は、加害側に無自覚な甘えを生み出し、配慮を怠る免罪符として機能してしまいます。相手の痛みに鈍感であること自体が、対人関係においては重大な過失となり得るのです。
また、「事実を正確に伝えただけなのに、なぜ怒られるのか分からない」と開き直る姿勢も大きな盲点です。社会生活におけるコミュニケーションは、情報の伝達だけでなく、相互の尊厳を守るという前提の上に成り立っています。「正しければ何を言っても許される」という態度は、相手へのリスペクトを欠いた傲慢さに他なりません。正論という鈍器で相手を殴りつけておきながら、「痛がる方が悪い」と主張するような歪んだ論理は、組織やコミュニティの安全性を根本から破壊します。