精神的な動機ばかりが取り沙汰されがちですが、死因の根底にあった身体的要因としての末期結核を見落とすことはできません。太宰は第二次世界大戦前から肺結核を患っており、戦後の過密な執筆スケジュールと無頼な私生活によって病状は破滅的なまでに進行していました。
当時の担当編集者や友人の証言によると、1948年春頃の太宰は日常的に激しい咳と喀血(かっけつ)を繰り返していました。食事も喉を通らず、酒と睡眠薬で神経を麻痺させながら原稿用紙に向かう日々が続いていたのです。遺作となった自伝的小説『人間失格』を書き上げた直後、太宰の体力と生命維持能力は実質的に燃え尽きていました。
朝日新聞に連載中だったユーモア小説『Good-bye(グッド・バイ)』を13話で絶筆とした背景にも、もはやペンを握ることすら叶わない極度の肉体衰弱がありました。自らの寿命が残りわずかであると自覚した太宰にとって、病床で長く苦しみながら死を迎えることへの恐怖と潔癖さが、水への入水を選ばせた大きな引き金となっています。