1868年(慶応4年)、伊予松山藩(現在の愛媛県松山市)の下級武士の家に生まれた秋山真之は、少年時代から並外れた知性を見せていました。海軍兵学校を首席で卒業した後はアメリカ留学を経て、海戦理論の第一人者へと成長します。
真之の名を一躍不朽のものにしたのが、1905年(明治38年)5月27日に勃発した日本海海戦です。連合艦隊司令長官・東郷平八郎の右腕(作戦担当参謀)として抜擢された真之は、それまでの常識を覆す「七段構えの戦法」や敵艦隊の進路を塞ぐ「丁字戦法(トゴ・ターン)」を考案。ロシアの誇るバルチック艦隊を壊滅状態に追い込み、世界海戦史上に類を見ない完全勝利を収めました。
出撃の直前、大本営へ向けて発信された電報「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス」の末尾に、真之は自らの判断で次の文言を書き加えました。
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」
このわずか13文字には、「視界が良いため敵を遠方から捕捉できるが、波が高いため小回りの利く我が軍の砲撃技術や水雷戦法には細心の注意を要する」という戦況の本質と、勝利への決意が完璧に凝縮されていました。軍事参謀としての緻密な計算と、卓越した文学的感性が融合した不朽の名文です。