スリップサインの露出を放置したまま走ることが自殺行為と評される最大の理由は、雨天走行時におけるハイドロプレーニング現象の発生リスクが跳ね上がる点にあります。自動車のタイヤに刻まれている溝は、単なるデザインではなく、路面の水をタイヤの外側へ掻き出す「排水路」の役割を果たしています。一般的な乗用車が雨天の高速道路を時速80kmで走行する場合、タイヤ1本あたり毎秒数十リットルもの水を瞬時に排出しています。
しかし、タイヤの摩耗が進んでスリップサインが露出した状態では、排水路としての溝の体積が新品時の約20%以下にまで激減します。行き場を失った水はタイヤと路面の間に入り込み、水圧によってタイヤが路面から完全に浮き上がってしまいます。これがハイドロプレーニング現象です。この現象が起きた瞬間、車は水の上を滑るソリと同じ状態になり、ハンドル操作もブレーキも一切効かなくなります。
JAF(日本自動車連盟)やタイヤ各社が実施した走行テストデータによると、濡れた路面(ウェット路面)における制動距離は、溝の深さに比例して明確に悪化します。新品タイヤに比べてスリップサインが出たタイヤでは、時速100kmからのウェット制動距離が約1.5倍から1.7倍近く延伸し、車2〜3台分も停止位置がオーバーランすることが実証されています。追突事故やスピン事故の危険性が日常の何倍にも跳ね上がるのは、物理的な自明の理といえます。