この邸宅の歴史は、明治18年(1885年)に遡る。手掛けたのは、岩手県紫波郡出身で「鉱山王」と称された実業家、瀬川安五郎だ。屋敷の名称は、彼が深く敬愛した盛岡出身の先人・板垣退助や南部藩の文人たちが愛でた名峰・南昌山にちなんで名付けられた。
贅を尽くした近代和風建築は、職人の精緻な技が随所に光る。銘木を惜しげもなく配した床の間、繊細な意匠が施された欄間、重厚でありながらどこか軽やかな気品を漂わせる大広間。ここには、平民宰相として歴史に名を刻む盛岡出身の政治家・原敬をはじめ、当時の政財界の重鎮たちが幾度となく出入りした。日本の近代化を推し進めた指導者たちが、この静謐な空間で何を語り、いかなる国家の青写真を描いたのか。床板に残る微かな擦れ跡すら、歴史の証言のように思えてくる。