「なぜ、弾圧が終わったのに元のキリスト教へ戻らなかったのか?」――この疑問に対する答えは、長崎県平戸市の生月島(いきつきしま)などに残る信徒たちの証言の中にあります。現地で取材を重ねてきた民俗学者や島民の手記によると、彼らにとって守るべき対象は、遠いローマの教皇ではなく「自らを育んでくれた先祖そのもの」でした。
禁教下の250年という歳月は、あまりにも長すぎました。信徒たちにとって、命を賭して弾圧から守り抜いてくれたのは、代々の祖父母や親たちです。明治になり、フランス人宣教師から「あなたたちの祈り方や習慣には誤りがある。仏壇や神棚を壊し、正統なカトリックの教えに従いなさい」と指導されたとき、信徒たちの胸中には激しい抵抗感が生まれました。
「先祖が血を流して受け継いできた大切なやり方を、今さら間違いだと否定して捨てることなど到底できない」
こうしてカトリック教会への復帰を拒絶した人々が、現在学術的に「かくれキリシタン」と呼ばれる人々です。彼らはオラショを唱え、納戸の奥に神棚のような形式で「御前様(おなんづさま)」と呼ばれる信仰対象を祀り、神道や仏教と共生する独自の儀礼を継承しました。しかし、2026年現在の生月島では、急速な過疎化と高齢化に伴い講(こう)組織の維持が限界に達し、儀礼を知る最後の世代が去りつつあるという、文化継承の新たな危機に直面しています。