1990年代初頭、日本のサッカー界は大きな分岐点に立たされていた。長らく実業団チーム中心の日本サッカーリーグ(JSL)が主流であり、世界との壁は高くそびえていた。その状況を打破すべく動き出したのが、日本サッカー協会の強化委員会を中心に指揮を執った川淵三郎氏だ。彼の強烈なリーダーシップのもと、新時代の日本プロサッカーリーグ創設へ向けた構想が加速する。
地域密着型クラブの確立、企業の冠名を外したクラブ名、そしてプロ専用スタジアムの整備。従来の企業の福利厚生的な枠組みを打ち壊す厳しい参入条件に対し、企業側からの反発は激しかった。しかし、プロサッカーを日本の生活文化として根付かせるという強固な意志が、10のクラブを参戦へと導くことになったのである。