奥松島運動公園の歩みを語る上で、東日本大震災の記録を切り離すことはできません。かつてこの場所は、津波により家屋を失った被災地を支えるため、広大な敷地を活かした災害廃棄物(瓦礫)の一次仮置き場として機能しました。粉塵が舞い、大型重機が休みなく稼働していた光景を目にした当時の住民にとって、ここは復旧作業の最前線であり、深い悲しみと対峙する現場でもありました。
東松島市が策定した震災復興計画に基づき、野蒜地区の集団移転と高台移転事業が進む中、「スポーツを通じて地域の活気を取り戻す」という強い願いのもとでグラウンドの土壌改良や除塩、地盤沈下対策が施されました。当時の復興担当者は地元広報紙の取材に対し、「単に元通りにするのではなく、震災前よりも安全で、次の世代が誇りを持てる交流の場に創り直すことが使命だった」と述懐しています。
こうして奥松島運動公園の復興と現在の姿が結実しました。園内には緊急避難場所としての機能やヘリポート適地、防災備蓄拠点が組み込まれ、平常時は住民の健康増進の場、有事には迅速な減災・救援拠点へと姿を変える「フェーズフリー」の思想が具現化されています。緑豊かな芝生と子どもたちの歓声が戻った光景は、被災地再生のシンボルとして全国の自治体からも熱い視線を集めています。