北条政子と源頼朝の出会いは、頼朝が平治の乱で敗れて伊豆国(現在の静岡県伊豆の国市)へ配流されていた安元3年(1177年)頃とされています。当時、頼朝は30歳前後、政子は20歳前後であり、二人の間には約10歳の年齢差がありました。
伊豆の小豪族に過ぎなかった北条時政の長女として育った政子は、平家の監視下にある罪人・頼朝の気品と貴種としてのオーラに強く惹かれました。しかし、平家への配慮から父・時政は二人の婚姻に猛反対し、政子を伊豆国の目代(代官)である山木兼隆に嫁がせようと画策します。
政子はその祝言の夜、激しい嵐をついて屋敷を抜け出し、頼朝が潜伏していた伊豆山神社(走湯権現)へと駆け落ち同然で身を寄せました。この決死の行動に心を動かされた父・時政は、最終的に頼朝の舅(しゅうと)として彼を支える決断を下します。北条時政と源頼朝の同盟関係は、政子の情熱的な選択によって結ばれたのです。