千葉県立中央博物館や旭市が保存・公開している震災アーカイブの映像・写真記録には、私たちが決して風化させてはならない凄惨な現実が記録されています。
旭市飯岡の海岸道路沿いでは、1階部分の柱をすべてへし折られ、基礎だけを残して数軒先まで押し流された木造家屋。港に整然と係留されていたはずの数トンの大型漁船が、住宅地の真ん中の路地や民家の庭先に乗り上げた光景。泥まみれになった家財道具と瓦礫が防風林の松の木に引っ掛かり、津波の到達した高さを生々しく示していました。
また、銚子市の名洗港や銚子マリーナ周辺では、引き波の際に港内の海水が完全に吸い出され、海底の岩肌が露出。その直後、白波を立てた濁流が防波堤を激しく叩き、係留されていたプレジャーボートや作業船が木の葉のように揉まれながら次々と横転していく映像が撮影されています。九十九里町や白子町でも、観光用の民宿や飲食店、サーフショップの1階に海水が流れ込み、砂浜を走るサイクリングロードや防潮堤が数十メートルにわたって削り取られました。
SNSや地域のコミュニティ誌に残る当時の声には、「揺れから時間が経ちすぎていて、誰ひとり波の音に気づかなかった」「夕方になって突然、地響きのようなゴーという音とともに港の境目が消えた」という証言が共通して見られます。夜間の冷え込みが厳しさを増す中、停電で真っ暗になった市街地で瓦礫の下から生存者を捜索した消防団員たちの過酷な活動は、まさに戦場そのものでした。