蜂須賀小六の家系を辿ると、源頼光の流れを汲む清和源氏、あるいは足利一門の斯波氏の支流とも伝えられ、尾張の地に根を張った由緒ある武家家系です。小六(正勝)は蜂須賀正利の長男として生まれ、激動の戦国乱世を生き抜きました。
秀吉の天下掌握が進むなか、天正13年(1585年)の四国征伐後、小六はその功績を認められ、阿波国一国(約18万石)という破格の大名領地を与えられます。しかし、ここで小六は驚くべき決断を下しました。
国持大名としての地位を嫡男の蜂須賀家政に譲り、自らは大名にならず秀吉の側近(筆頭相伴衆)として大坂に留まり続けたのです。これには「領国経営よりも、老境に入った秀吉の政権中枢を側近として支えたい」という強い忠誠心と政治的判断があったとされています。
そして阿波拝領の翌年である天正14年5月22日(1586年7月8日)、小六は大坂の屋敷で病没しました。享年66。死因は過労や高齢に伴う病気と見られています。盟友の突然の死に、秀吉は深く悲嘆に暮れたと伝えられています。