仲本工事さんの事故死と晩年の真相|妻・純歌との関係と知られざる経緯

仲本工事さんの事故死と晩年の真相|妻・純歌との関係と知られざる経緯

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晩年の生活を巡る騒動ばかりが注目されがちですが、仲本工事さんが日本のエンターテインメント史に刻んだ足跡は不滅です。1941年、東京・日本橋の生まれ。名門・学習院高等科から学習院大学政経学部に進学した仲本さんは、知性派としての素顔を持っていました。

特筆すべきは、学生時代に培った抜群の運動神経です。高校・大学時代は器械体操の選手として活躍し、東京都大会の跳び箱やマット運動で上位入賞を果たしたほどの実力者でした。大学在学中にジャズ喫茶で音楽活動を始め、ジャズバンド「クレイジー・ウェスト」などを経て、1965年にいかりや長介さん率いるザ・ドリフターズにギタリスト兼ボーカルとして正式加入します。

1966年、ビートルズの日本武道館来日公演でドリフターズが前座を務めた際、仲本さんはリードボーカルとして「ロング・トール・サリー」を熱唱。卓越したリズム感と確かな演奏技術は、単なるコミックバンドの枠を大きく超えていました。

そして1969年にスタートした『8時だョ!全員集合』(TBS系)において、仲本さんの運動能力は国民的な爆発力を見せます。トレードマークとなった黒縁メガネと体操着姿で登場する「体操コーナー」は、番組屈指の超人気企画となりました。巨大な跳び箱を軽々と飛び越え、美しいフォームでマット運動をこなす姿に、子どもから大人までが熱狂。最高視聴率50.5%を記録した怪物番組の中で、仲本さんはドリフの身体的ダイナミズムを一手に引き受けていたのです。

また、志村けんさんとの関係性も特異なものでした。1974年に荒井注さんが脱退し、当時付き人だった志村さんが正式メンバーに昇格した際、メンバー最年少となった志村さんを最も温かく迎え入れ、コントの相手役としてサポートしたのが仲本さんでした。派手なキャラクターで前に出る加藤茶さんや志村さんに対し、仲本さんは的確な間合いでツッコミを入れ、全体のバランスを調和させる「ドリフの屋台骨」でした。

2026年3月に志村けんさんが新型コロナウイルス感染症で急逝した際、仲本さんは深い悲しみに暮れながらも、「志村、早すぎるよ。ドリフの宝だった」と涙ながらに盟友を悼みました。志村さんの死からわずか2年半後、仲本さんまでもが不慮の事故で旅立つことになり、いかりやさん、荒井さん、志村さんに続く盟友の死に、残された加藤茶さんと高木ブーさんの哀しみは察するに余りあるものでした。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。